小学生の頃よく(逆に)お前はどうなんだ、という聞かれ方をしましたが、僕は意表を突かれました。自分ができているのは当然だけれど相手と自分とでは状況が違うしそれを聞いてどうすると思わざるを得ませんでした。そんなにまで小学生が人生に思い悩んでいるとは思えません。きっとやらない理由を探して大人の言葉をまねてみたんでしょう。
まあでも、自分を変えたくないという彼らと、自分は自分よそはよそでしょ、という僕がぶつかり合ったといえる。それはそれで何の問題もなかったんでしょうね。
その話のつながりで言うとアドラーは幸せだったんでしょうね?^^;という話になっていきますが、幸不幸は外から見てわかるものではありません。それでもあいつは不幸だと決めつけたがるのは世間体の虜になっているんでしょうね。貧乏で苦しいとかだったら、ひょっとしたら殴り返してやったぐらいの気持ちを持つのかも。
この話は創価学会の話に近いけれども決して同じではないと思います。だから無価値かもしれません。
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