2017年7月16日日曜日

嫌われる勇気、読了

小学生の頃よく(逆に)お前はどうなんだ、という聞かれ方をしましたが、僕は意表を突かれました。自分ができているのは当然だけれど相手と自分とでは状況が違うしそれを聞いてどうすると思わざるを得ませんでした。そんなにまで小学生が人生に思い悩んでいるとは思えません。きっとやらない理由を探して大人の言葉をまねてみたんでしょう。
まあでも、自分を変えたくないという彼らと、自分は自分よそはよそでしょ、という僕がぶつかり合ったといえる。それはそれで何の問題もなかったんでしょうね。
その話のつながりで言うとアドラーは幸せだったんでしょうね?^^;という話になっていきますが、幸不幸は外から見てわかるものではありません。それでもあいつは不幸だと決めつけたがるのは世間体の虜になっているんでしょうね。貧乏で苦しいとかだったら、ひょっとしたら殴り返してやったぐらいの気持ちを持つのかも。
この話は創価学会の話に近いけれども決して同じではないと思います。だから無価値かもしれません。

2017年7月8日土曜日

嫌われる勇気

 アドラーという人物の提唱する目的論の話です。実践していくととんでもないことになる予感がところどころでありますが、ウェブで調べたところ心理学ではなく哲学の範疇に入るそうです。というのも臨床例の裏付けがないので心理学とは異なるという話です。
 因果律以外に物事のとらえ方があるというのには興味がわきました。私は動物番組が好きで、彼らが自然で生きる知恵や子育ての母性というものに関して、これは科学で説明しきれないと思ってナレーションが語る研究者たちの考える研究成果を聞いていたら、どうやら個人的感想では目的論で説明されることが多かったのではないかなと思われます。
 ということで目的論について読破が近いですが触れていきたいと思います。ただ、この本の哲人は言ってることが逆になっていたり、してるんじゃないかなーと、僕も何か所か思いました。